湿度78%

湿度高めの人間が、夜中に体育座りで書くブログ。

退職エントリのテンプレで中学生が部活をやめる「退部エントリ」を書くのを想像して少なくとも私は面白い。

 

タイトルで書きたいことが終わってしまった。

まぁいいか、という気持ちです。

 

 

 

† やる気スイッチ ダークネス †

今日から頑張って卒制をやろうと思っていたのに、視野を広げるためと言って卒制のテーマの内容と全く関係ない本を読むという現実逃避をして終わった。

明日からは本当に頑張ろうと思ってる。本当に、本当だ。

今日なにもできなかった自分のお詫びとして、明日の朝からやる気が2000%出るやる気スイッチを明日の自分のために考えることにした。

とりあえず、私はどんなときに頑張ろうと思うのか、3つ箇条書きをしてみる。

  • これはやらないとやばい!締め切りがやばい!という時
  • お金がもらえるから頑張っちゃうぞ〜〜ケッケッケッという時
  • こんなことすらできないなんて私は生きてる価値あるのか?…これくらいはやってのけなければ。という時

こんなところである。上から見ていくと、

1つめ。制作の規模的にそろそろやらないといけない状況ではあるが、あと2~3日で締め切ってしまうような鬼気迫るやばさが今回は感じられないので見送り。

2つめ。お金はもらえない。が成果が出ると嬉しい。

3つめ。今現在の私はいつもよりぐるぐると答えの出ないことを悩んではいない。生きる価値がどうとか難しいことを考えずに、のんびり楽しくマイペースに過ごしている。これが今回やる気スイッチが入らない原因なのかもしれない。

よって、今の私に足りないのは「病み感」である。かといって、自分を傷つけたり、お金を使うことはしたくない。お手軽に「病み感」を自分から引き出したい。

方法をどのように考えるか。とりあえず最近筋トレにハマっているので、筋トレをしながら「病み感」を引き出していきたい。なのでやることは、腹筋をしながら白目を剥き、起き上がるごとに覚えている限りのtwitterのフォロワーのIDを思いっきり高い声で声に出すのだ。そういうオブジェがあるとして、それになりきってみよう。明日の私は、「お願いだ!!!!早く人間に戻してくれ!!!!!」という気分になること間違いなしである。

このやる気スイッチの良いところは、まず運動によって体が覚めるのでとても健康的、自分の部屋の中で済ますことができる。そして、わずか数分で終わる。

これをすれば、生まれ変わったようにやる気がでるのだ。平和にマイペースに過ごしていた穏やかな日々を忘れて、早く人間になりたいと思って頑張れるはず。

 

 

 

友だちってなんだよ

 

友だちってなんだよ、ただでさえ何をもってわからないのに、なんでもかんでも友だちというSNSやメッセージアプリのせいでますますわからない。

 アプリの「友だち」という言い方は疲れる。別に友だちじゃないのに。連絡先を知っていると友だちなのか。キエーーーーーーーーー

今の小学生は大丈夫だろうか。ただ連絡先を交換するだけで「あいつは友だちじゃねぇ。よって連絡先は交換しねぇ。」とかやらないのだろうか。

それとも、そもそも同じ空間にいたら友だち、みたいな世界観が今は普通になっているのだろうか。友だちの中でも特に仲の良い人、信用できてなんでも話せる人もみんな、連絡先を知っているだけの人と同じ扱いの友だちというラベルが貼られるのが普通になってしまうのか。

友人の基準は人それぞれで主観的なものだからこそ、友人というのは心の拠り所にもなり得るのではないか。とにかく個人的には、友だちという言葉を軽々しくラベルとして使って欲しくないよムキャーーーーーーーーという気持ち。

 

頭では分かっているんだ…これはサービスの設計で友だちという言葉をチョイスしているのだと頭では分かっているんだけど、ずっと気になるから平成最後に置いていくことにした。みんなもリアルでは上手くやっているだけでそういうものがあるだろう??(決めつけ)。

 

スタンプや絵文字についてのどうでもいい話

私はスタンプや絵文字が苦手である。

なぜ苦手なのかというと、その人がそのスタンプの表情を真似している様子が頭に浮かんでしまうためである。

スタンプや絵文字はイラストなので表情が誇張して描かれている。その誇張された表情を本人が実際にそうしている場面が頭に浮かんでしまうのだ。

例えば、ニカッと白い歯を見せてgoodサインをしているスタンプが送られてくると、スタンプを送っているその人がニカッと白い歯を見せてgoodサインをしているのが頭に浮かんでしまう。

両手を合わせて内股でぬるぬると謝るスタンプが送られてくると、スタンプを送っているその人が両手を合わせて内股でぬるぬるしているのが頭に浮かんでしまう。

それを見ると、なんだこの人、気持ち悪い!!!不自然な表情!!!!不自然なリアクション!!と思ってしまう。(そんなものが頭に浮かんでいる方が悪いのは分かっている)

なので、高校生くらいまでは自分がスタンプを使うとき、ひよこやおにぎりなどの人間以外のものを使うようにしていた。周囲の人から「見かけによらず、こんなスタンプ使うの?気持ち悪い。」と思われると本気で思っていため、自分がしないであろう表情やジェスチャーのスタンプは絶対に使わないようにしていた。

リアルでこの話をした時に誰も共感してくれず、ドン引きされてしまったため、それからは、本人が好きで使っているのならいいじゃないかと、思考停止をしてやり過ごしていた。そして最近、母親に悩みとして聞いてもらったところ、他の人はそういうものが頭に浮かばないということがわかった。

頭では分かっているのだけれど、まだ自分が表情のあるスタンプを使うのは気持ちが慣れないなぁと思う。

 

わたしの中に潜んでいる意識高い奴

私は、夜中にねくらなブログを更新している、ちょーぜつ普通のなんの取り柄もない大学生であるが、そんな私の中にも意識が高い奴が潜んでいる。私の中の意識高い奴は、3年生の夏休みも中盤に差し掛かったこの時期に突然こんなことを言い出した。「みんな就活に向けて、ブログとかポートフォリオサイトとか出してるぜ。そこからがスタートだぜ!」でも私は「そうかもしれないけど、どうせネットの海に漂流させたところで…大したものじゃないし。もっとすごいのたくさんあるし。しょぼいし。しんどい。メンタル的にもハードル高い。無理。」と言った。すると意識の高い奴はこう言った。「出すことが大事なんだよ!人にまず自己開示しないと、見てくれるはずの企業の人も見てくれなくなっちゃうよ!」私は「見てくれるはずの人が見てくれない」という言葉に反応をし、すぐさまこう返した。「じゃあ見てくれるはずの人ってどこにいるんだよ。SNSはろくにやっていないし、本当に誰も見てくれないよ。しかも自己開示ってめちゃくちゃエネルギーいるじゃん。じゃあ素晴らしいものをつくっているのか、違うじゃん、自分でも見返せないようなものが多いじゃん!晒したところでマイナスばっかりで割に合わないですぅ。」意識が高い奴は内心、割に合わないってコイツ何様だよ、失うほどの何かも持ってないだろ、まず見てもらえただけでありがたいだろ、と思いつつ黙ってしまった。

 

そこに意識が高いのだか低いのだかなんだかわからない奴がふらりと現れた。「誰も見てくれなくてもいいじゃない。自分が楽しいことや考えたことを自分のために出せばいい。就活とか周囲の評価は、とりあえずどうでもいいのさ。昔の個人サイトみたいなもんだよ。趣味だ趣味。難しいこと考えんなよ。」

 

なんとなく、私はこいつについていくことにした。

  

文字のメロディ

メロディは聞いたことがあるのに、タイトルがわからず、人に聞くことは誰しもあるはず。このあいだ、某知恵袋で、「あああーああああーあああーーーあーあっていう曲のタイトルを教えてください」といった感じの質問は見かけた。そういえば、わたしも「てーれれ てーれれ てーれっれれー」ってな感じの「そうだ、京都行こう」のCMの曲のタイトルなんだっけか、となったことがある。

文字だけでメロディが思い出されることをつくづくすごいと思う。某知恵袋では、その「ああーああーあああーーという感じの洋楽のタイトル教えてください」という質問に回答が出ている。しかも、質問者が求めていたものである。よくわかるな、と感心してしまう。わたしも一緒になって、なんの曲だろうかと考えると、ただの文字の並びにメロディが引っ張り出されることがある。「わかった!!」とめちゃくちゃスッキリ感がある。そうなると、もうその「あ」の並びはそのメロディにしか聞こえない。

普段の生活をふりかえってみると、ただの文字の並びからメロディが引っ張り出されるのは特別なことではないことにも気がついた。「てててて てててて てーれー」は火曜サスペンスドラマの曲だし、「あーああー あああ あーああー」はガンダム00の戦闘曲だ。

文字の並びからわかるのは、リズムと伸びくらいなのに、面白い。

かの有名な「渡る世間は鬼ばかり」のテーマ曲を文字だけで表すと、

「たらららららららん たらん」

とか

「テレレ テレレレレン テレン」

という感じだろうか。

個人的には「テレレ テレレレレン テレン」の方がしっくりくる。

 

まずは片付け

わたしは、3月末までに終わらせなければいけない作業があり、ここのところずっとそれを進めていた。作業は自宅で行っていて、資料に出した本やメモが自室にどんどん散乱していった。また、残念なことに作業が全く思うように進まない。進まないからまたメモや資料が増える。どんどん増える。一時片付けようかとも思ったが、それは現実逃避なのではないかと思い、全く片付けなかった。片付けは甘えだ、作業が終わってからにすれば良いと。…とまぁここまで書いてめちゃくちゃ作業している感があるが、つい昨日からブログは始めているため、あまり緊迫感がないかもしれない。わたしはきっと思い詰めていたのでしょう。きっと。吐き出す場所がほしかったんだ。そうだそうだ、それくらい許されたい。

 

そういえば、月曜あたりから、母には元気がないだのと言われていた。そして遂に今朝、母にわたしの部屋を見られてしまった。母に元気がないのは部屋が汚いせいだと言われた。作業の進みもよろしくなかったため、母の言う通り部屋の片付けを行った。朝の9時から夕方の5時まで掃除をした。

 

部屋がすっきりするとこんなに気持がいいものなのか。心なしか頭もスッキリしているような気がする。途中まで作業をしていたものを見ると、なんだか無駄なことをたくさんやっているように見えてきた。もっと簡単にできるのかもしれない。気づくことが多かった。いつも掃除ばかりする奴は、掃除に満足して作業できない奴だ、作業から逃げているだけだ!と自分に言い聞かせて作業をしていたが、集中して周りが見えなくなる自分には、掃除をするぐらいが一呼吸おけてちょうど良いのかもしれない。